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県指定 三里(みさと)古墳
区分 | 県指定/史跡 |
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員数 | 1 基 |
所在 | 平群町三里958番地 |
所有 | 【個人】 |
指定 | 昭和50年 3月31日 |
時代 | 古墳時代 後期 |
その他 |
矢田丘陵より西に延びる尾根上に築かれた古墳で、墳丘は削平され周囲が耕作地化しているが、発掘調査により全長35mの前方後円墳もしくは直径22mの円墳と考えられている。
埴輪はみられないが、周溝埋土に礫が含まれ、墳丘の一部に葺石が施されていたらしい。
主体部は南西に向いた横穴式石室で、太平洋戦争後に上部を失ったが、奥壁と側壁下部を残している。石室は両袖式で、玄室長4.9m、幅2.4m、高さ約3.15m。羨道は長さ7m、幅1.3~1.4m。玄室奥壁の床よりに奥行き1.5mの板石による棚が架せられている。石棚のある横穴式石室の古墳は紀ノ川下流域に多いが、奈良県下では三里古墳を含めて3例のみであり、他の2基も吉野川(紀ノ川)流域に築造されている。
玄室西よりに凝灰岩製の組合せ家形石棺がまず安置され、その後、羨道奥の組合せ石棺、棚の上下、玄室の東側、羨道前部にそれぞれ木棺が追葬されていたと考えられている。
凝灰岩製の組合せ家形石棺の周囲から金銅装鐘形杏葉、(ぎょうよう)鏡板を(かがみいた)用いた豪華な馬具や金銅装ハート形鏡板のやや実用的な馬具、土器類、武器類、ガラス玉等が出土している。鐘形杏葉は9枚がまとまって出土しており、古墳時代後期の馬具として優品であり、三里古墳の被被葬者は2セットの馬具を使い分けていたと推定される。(出土遺物も一括で奈良県の指定文化財)
出土遺物より6世紀後半~末頃の築造と考えられている。