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町指定 薬師如来座像(やくしにょらいざぞう)
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記事ID:0001069
更新日:2021年1月25日更新
区分 | 町指定/彫刻 |
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員数 | 一躯 |
所有 | 平群町椣原53番地 椣原山 金勝寺 |
指定 | 昭和53年 3月15日 |
時代 | 平安時代 後期 |
その他 | 金勝寺 金堂本尊 |
行基菩薩が天平18年(746)に開いたとされる金勝寺の本尊で、木彫、寄木造で像高1.5m。玉眼で、高い蓮弁の台座に乗り、全身に漆箔(しっぱく)を施している。制作時期は平安後期の藤原時代と推定されている。
金勝寺は、天正年間に松永久秀の焼き討ちにあい、諸堂を焼失しており、現在の本堂は寛文6年(1666)の再建である。この尊像は兵火を避けて伝えられ、東寺領平野殿庄(ひらのどののしょう)の関連寺院として、質の高い像を祀っていたことが知られる。
寺宝に大永2年(1522)の「大和国平群平野庄」銘の鰐口(わにぐち)が伝わっているほか、南200mにある周辺地域の惣墓(そうばか)(金勝寺墓地)にも天正3年(1575)の「和州平野庄」銘の地蔵立像石仏があり、国宝・東寺百合文書(とうじひゃくごうもんじょ)に多くの記録のみえる「平野殿庄」がこの地域であることが知られる。