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県指定 木造(もくぞう)深沙(じんじゃ)大将(たいしょう)立像(りゅうぞう)

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記事ID:0001065 更新日:2021年1月25日更新

木造深沙大将立像写真
木造深沙大将立像

区分 県指定/彫刻
員数 一 躯
所有 平群町福貴畑1396番地
杵築神社 観音堂
指定 昭和55年 3月28日
時代 室町時代 前期
その他 観音堂

脚部写真
膝頭が象の頭部になっている

 福貴畑の氏神、杵築(きつき)神社観音堂において本尊聖観音座像の脇尊として祀られている巨像で、高さ197?。寄木造りで、南北朝~室町前期の作と考えられている。
 仏教の真髄を知るため、唐よりインドに向かった玄奘三(げんじょう)蔵(三蔵法師)が砂漠で遭難しかかった時に救った神とされる。
 憤怒の表情で、髑髏(どくろ)の首飾り、臍には子供の顔、膝は象頭を付け、腕に蛇を巻いた奇怪な姿である。本来は砂漠の神であるが、波の彫刻の付く台座に乗り、杵築神社像においては龍神として祀られていた可能性がある。胎内には、天明5年(1785)の河内仏師による修理銘がある。
 珍しい仏像であるが、町内では信貴山奥の院(米尾山福蔵寺)にも秘仏として祀られている。昭和51、52年に地元の有志・平群史蹟を守る会等が中心となって[深沙大将像修復推進委員会]が結成されて浄財を集めて修復された。この際、福貴畑大字により観音堂の 建物も整備されている。
 なお、地元では「龍神」として雨乞いの対象にされていたらしく、足下に波模様の飾り(近世の後補)が付けられていた。本来、砂漠の神であり、解体修理の際に取り外されている。