
親塚と十三塚標石
↑ 明治26年の「大和国古墳墓取調書」より |
生駒山地の稜線上、十三峠のすぐ北側に南北90mにわたって十三基の塚が並ぶ。最高所にある中央の親塚(径6m、高さ1m)が大きく、これを中心に西に156度に開いて南北に各六基の小塚(径4~5m、高さ0.4~0.8m)が真っ直ぐに並ぶ。この状況から、計画的に築造された十三塚であることが分かる。親塚の西側(正面)には祭壇状の石組みがあり、江戸後期(嘉永3、1850年)に立てられた十三塚標柱もある。
神武天皇の皇后墓などの伝承があり、河内方面より参拝者が多く、小旗を立てる等の信仰もみられ、平群側では雨乞の松明行列の道筋になっていた。
昭和8年に南側七基が発掘調査されたが、表土層から古銭や土器小片が出土したのみで、埋葬施設や埋蔵遺物は確認されなかった。これ以後、信仰は途絶えたという。
かって、全国に数百ヶ所分布した十三塚が開発行為で激減する中で、完存する十三塚として、兵庫県氷上郡山南町の岩屋十三塚とともに重要有形民俗文化財の指定を受けた。
築造時期は明かではないが、延宝7年(1679)編の『河内鑑名所記』に記載があり、中世後半まで遡る可能性がある。 |